祖母のことについて話そうと思う

海の日を含む3連休。
土曜から日曜にかけて僕は息子と娘を連れて実家に帰った。
日曜の朝起きたら祖母が台所に立ち、切り干し大根とちくわの煮物の味付けをし直していた。
その煮物は土曜の夜に祖母が作ったものだったが、とても味が薄かった。
父や僕、子供たちも「別に気にすることはない」と言ったが、本人はとても気にしているようだった。
その薄味のことが気になって、朝早くから味付けをし直していたのだろう。
日曜の昼ご飯に、祖母はきゅうりを酒粕で合えたものを作った。でも、それもさっぱり味がしなかった。祖母は申し訳なさそうに「塩を振って食べて」と食卓を囲む僕たちに卓上塩を回していた。
その姿がなぜかやりきれなかった。
なんだかいろいろと考えさせられてしまったのだ。
祖母が生きてきた年月について。
老いるということについて。
幸せというものについて。

だから、今日は祖母のことについて話そうと思う。
まだ何を書くかははっきりと決めていない。
でも、とても長い文章になることだけはたしかだ。

祖母を見て僕が悲しくなった理由

祖母は昭和3年生まれだ。
小さな村に生まれ、戦争が終わって帰ってきた祖父と結婚し、同じ村でずっと過ごしている。僕の父である長男と2人の娘に恵まれ、8人の孫、そして9人の曾孫がいる。小さな村で生まれ、戦後を生き、小さな村で生涯を終えることになるだろう。
どん底から元気になっていく日本の中で、経済的にもだんだん豊かになっていき、家族にも恵まれた。戦後には僕なんかが想像もできないような大きな苦労はたくさんしたのだろうけれど、それなりに幸せな人生を送ってきたように思う。祖父が生きていた頃は、旅行好きの祖父と一緒に日本全国いろんなところに旅行に行ったみたいだ。

祖母は今年で88歳になる。
3年ほど前に股関節の手術をして今は歩行器なしでは歩けない。
実家の米屋を手伝い、若い頃は重い米俵を担いで村中を配達に回ったらしい。まだ当然車などない頃だ。そのせいか腰は大きく曲がり、痛みも相当あるようだ。
甲状腺がんを患ってからは、時々呼吸が苦しくなるらしく、少し動いただけで激しく息を切らす。
耳もかなり遠く、補聴器をしていても我々の声を聞きとることは難しくなっている。好きだったテレビドラマを見ることもめっきり減ってきている。音も聞こえないし、内容を理解するのが難しいのだろう。
まだボケてはいないけれど、同じようなことを何度も話すし、一度聞いたはずのこと言ったはずのこともよく忘れる(父は「都合の悪いことだけ忘れる」とよく怒っている)。
「こんなはずじゃなかった…」
「これからどうしよう…」
だんだん自由がきかなくなる体を憂い、祖母は毎日そう呟く。
そして、自分のわがままを父や僕や妻、場合によっては曾孫達にまでぶつけてくる。
90歳近くまで生きていて「これから」のことを気にする祖母の気持ちは、現時点での僕には理解できない。冷たいようだけれど。
「もうここまで幸せに生きてこられたのだからいいじゃないか」と思うこともあるし、「なぜ未来のある曾孫よりも、自分のわがままを優先するのか」と憤りを感じることもある。でも、僕がもし長生きをして祖母を同じような状態になったら、同じように考えるかもしれない。
何歳になっても果てもなく未来のことを気にかける-。きっと人間の欲はそんなもんなんだろうし、そんな欲がなければ日々の活力にも湧いてこないのだろう。
祖母のわがままはそれほど長くない未来への希望なのだ。
それがなければ、祖母は生きていられないのだ。

祖母の趣味は草むしり、畑仕事、近所の老人方とのお茶飲み話、料理だ。
体が思うように動かない祖母にもう草むしりや畑仕事はもうできない。
近所の老人方も同じような体調だから、あまり外に出ることもなくなり、自然とお茶飲み話の機会も減ってきている。

そんな祖母が年をとっても毎日続けているのが、料理だ。
ほぼ90度に曲がった背中で毎日台所に立ち続け、包丁を握る。
切る野菜の形は年を追うごとにいびつになっていくし、作る料理のレパートリーもだんだん限られてきている。祖母自身が口にする料理の好み自体がだんだん限られたものになってきている(小魚の佃煮や必ず胡麻ドレッシングをかけて食べるキャベツの千切り、納豆がお気に入りだ)。
そんな状況になっても、朝は誰よりも早く起きて味噌汁を作る。少し作っては、椅子に腰かけゼーハーゼーハ-と苦しそうに息をする。
僕の妻が「私やりますから。ゆっくりしていて下さい」と何度言っても、言うことを聞かない。妻に任せて椅子に座り、休んでいたかと思うと、また台所に立って別の料理を作りだす。
料理は祖母に残された数少ない生きがいの1つであり、存在意義なのだろう。

その料理も祖母の思うようにはいかなくなってきた。
思ったような味付けができなかった時の祖母はとても小さく、威厳がないように見えた。そんな祖母を見て僕はなんだかひどく悲しくなってしまった。あんなに自信がなさそうで、周囲に対して申し訳なさをはっきりと示している祖母は初めて見た。
僕が知っている祖母は、もっとわがままで、強欲で、周囲に悪く言われることの多い人だった。間違っても、自分の失敗に対して素直にお詫びの態度を示すような人ではない。

祖母は嫌われ者

祖母は嫌われ者だ。
正確に言えば、家族以外には好かれてもいるし、時には尊敬されることもあるけれど、家族には嫌われている。
もしかしたら田舎にほかに住んでいる多くの老人がそうなのかもしれないけれど、祖母が最も大切にしているのは『世間体』だ。同居している家族以外に、よく見られることを一番重視している。家庭の内外での自分の地位を保つために、外には優しく接し、内には厳しく接する。
そんな祖母の特性を強く意識するようになったのは、僕が大人になってからだ。でも、今思い返してみると、昔から祖母にはそういった一面が垣間見えていた。
僕の家では、母と祖母が2人で料理を作っていた。
母はとても料理が上手な人だった。
そんな母に嫉妬もあったのか、食事の時になると祖母はいつも「これ食べな」と僕に自分が作った料理ばかりを勧めていた。祖母が作るのは煮物中心だったため、子供の頃の僕は母が作る料理の方が好きだった。僕が祖母の作った料理に箸をつけないでいると、祖母は「なぜ食べないのか」と嫌な顔をした。
子供の頃は、そういった状況に少し違和感があった程度だった。でも、あれは祖母が料理という自分の存在意義の1つである分野で、家庭内での自分の地位を守ろうとしていた行動なのだろう。
ちなみに僕の母は僕が24歳の時にがんで亡くなった(母のことはまた気が向いたら書こうと思う)。母の体調がかなり悪くなった頃、父が一度祖母に向かって声を荒げたことがある。父の言葉の詳しい内容は忘れてしまったけれど、「母ががんになったのは、祖母からのストレスが原因だ」という感じの言葉だ。
祖母が母に与えたストレスにどんなものがあったのか、詳しくは子供の僕にはわからない。

僕が結婚する時、祖母が僕の妻に向って「お母さんにしたような口出しは孫にはもうしない」と話したことがある。
「もう後は若い人に任せた」と。
でも、祖母には若い人に任せることなどできなかった。家事のやり方は僕の妻に細かいところまで注意し、なぜ自分と同じようにできないのか、なぜ気が利かないのかと口うるさく指摘した。
僕にはその姿が会社にたまにいる『目的や目標を示さずに、仕事の手段・手法や細かい部分にばかりいちいち口を出す嫌な上司』の姿に重なって見えた。
実際、妻は祖母の態度にかなり参っていて、実家からの帰り道に車の中で愚痴を漏らすことも多かったし、時には堪えきれずに泣き出すこともあった。

今では嫁いで家を出てしまっている妹がまだ実家に住んでいた頃も、妹と祖母はやはりケンカをしていた。
祖母は同じ家の中で暮らす女性に対しては、自分と同じように考え、自分と同じように行動してもらいたいのだ。でも、自分よりは上の立場になるのは嫌なのだ。
なんて厄介なのだろう。

現在僕の実家では父と祖母が2人で暮らしているのだが、この2人もよく口論をする。
祖母が父のことを細かい部分までいちいち気にするのに、父は嫌気がさしているようだ。父の仕事の状況、体調、予定、電話の相手、細かいところまで祖母は父に聞く。父も返答はするが、耳が悪い祖母には父の言葉がなかなか聞こえない。だから、父は大きな声で同じことを繰り返し何度も言う。
祖母にとって父は自分の世話をしてくれる唯一の存在であり、息子だ。
だから、気になるし、少しでも体調が悪ければ心配で仕方がないのだけれど、父にはそれが鬱陶しくてたまらないのだ。

ちなみに僕も祖母のことはあまりよく思っていない。
僕は祖母に対して妻が抱えているストレスも、父が抱えているストレスも感じている。だから極力話さないようにしている。話せばケンカになるのは、火を見るよりも明らかだからだ。
僕と同じように祖母も僕のことをあまりよく思っていない。
僕がいないところで妻に「あの子は何も話さない」「気難しい」といったようなことをよく話しているらしい。
ただ、僕は祖母のことをあまりよくは思っていないが、祖母のことが嫌いかというとそうではない。
どんな人間であっても、彼女は僕のかけがえのない祖母だし、家族だし、小さな頃からお世話になっている人だ。
だから、祖母が思うように料理ができず、肩を落とす姿を見ると言いようのない悲しみを感じるのだ。きっと父も僕の妻も妹も同じ気持ちだろう。

祖母の幸せと僕の幸せの間にある絶望的に深い溝

できれば、祖母の希望に応えてあげたいと思う。
おそらく残りそれほど長くないであろう人生を幸せに過ごしてほしいとも思う。
ただ、それは口にするのは簡単だけれど、実行するとなるとなかなか難しい問題だ。

僕の実家があるような田舎だと、高齢者を抱えた家は大体次のようなパターンをとることが多い。

①実家を捨てて若い人が生計を立てる家へと引っ越す。
②高齢者だけで暮らす。
③病院や老人ホームのような施設に入る。
④若者が実家に帰ってくる(あるいは社会人になった時に実家を出ない)。

あくまでも体感だけれど、増えてきているのは①~③で、④はほとんどない。
理由は明らかで、田舎には仕事がないし、子供にとって良い教育環境がないからだ(僕の実家がある村ではここ数年1年間に子どもが0~2人しか生まれていない)。
父の世代では、まだ④の選択をする人も半数弱はいたようだ。でも、僕の世代に④の選択する人はほとんどいない。事実、僕の同級生は全員故郷を去ってしまっている。もう帰ってくることもないだろう。
祖母の希望は、④だ。
それは祖母の希望というよりも、祖母の世代の希望だろう。
個人よりも家を大切にし、家が永遠に続くことを希望した世代なのだ。家族はご先祖様が苦労をして勝ち取った、土地や家屋、人間関係、家柄や墓地を守っていくために存在するのだ。
だから、祖母には故郷を出たきり帰らない僕の考えや行動を理解することはできないだろう。
僕は家族という形の見えない存在よりも、個の方が大切だと信じている。たとえ家族がバラバラになるようなことがあっても、子ども達やまだ見ぬ孫達(いるのかどうかはわからないけれど)が幸せな人生を送ってくれればそれで良いと思っている。
だから、自分の仕事や環境(場所)は子ども達の未来に繋がるように選択をしている。
僕たちの世代と祖母たちの世代では、幸せの形が全く異なるのだろう。この違いは信じる宗教の違いにも似ている。
両者の幸せの間には、絶望的に深い溝があるのだ。
この溝は日本の多くの田舎にある。
祖母の世代は未来よりも過去を大切にしているように見える。子供よりも先祖を、誕生日よりも故人の命日を重んじているのだ。
ちょっと話が大きくなってしまうけれど、僕にはそれが日本の地方が衰退してしまった大きな原因に思えて仕方がない。

幸せのかたち

祖父母や親の世代と同居するのは、気を遣うし、できれば嫌だ。
それぞれの世代で幸せの形が違うがゆえに、一緒に暮らすことで、離れて暮らしていれば起きなかったような衝突が生まれるのは避けられない。
田舎は仕事がないし、遊ぶ場所もないし、友達もいない。
道を歩けば空き家と閉塞感にぶつかる。
だからできれば住みたくない。
けれど、僕の心の中のどこかに、かつて自分が経験したような家族の形への憧れがある。
いや、それは憧れとはちょっと違う。
帰る場所?郷愁?
うまく言えないけれど、とにかく、料理が思うようにできず、早起きして作り直す祖母、味の薄さを家族に謝る祖母、そんな祖母の姿を見て、僕は自分の心の隅に眠っていた家族への気持ちについて考えてしまったのだ。

どこに住んで、どういう仕事をして、どういう生活をするのが幸せなのかはわからない。
「幸せなんて結局は自分が決めるもの」という意見もわかるし、「幸せかどうかは他者との相対評価によって決まる」という意見も理解ができる。

何世代かが1つの家に同居していたかつての日本の家族の形には、問題もあるけど、あれはあれで1つの幸せの形だったと思う。
実際、僕は幸せだった。
口うるさく、厳しい祖父母に自分自身が叱られた恐怖(日頃愛されていた分妙な恐ろしさがあった)、祖父母が父母を叱っている時の不思議な気持ち(大人が叱られることの不思議)、僕が彼らに歯向かった時に感じたこと(老人への侮蔑や嫌悪)…。
一緒に暮らしていなければ、経験できなかったそれらの衝突は、鬱陶しくはあったけれど、その一方で確実に僕の血肉となった。
価値観が異なる人々が一緒に暮らし、お互いが思うようにならない状況を共有することでしか得られないものもあるのだ。

海の日を含む3連休で、僕は小さな祖母の姿を見た。
それは老いの悲しさであり、もしかしたら未来の自分の姿なのかもしれない。
それを感じたところで今すぐ僕は自分の人生を大きく変えるつもりは今のところないけれど、今週末も子ども達を連れて実家に帰ろうかとは思う。

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