『多動力』レビュー 読んだ後子育ての仕方を見直してみようと思った

お盆休みということで読みたかった本を何冊かまとめて読んでみた。そのうちの1冊がこの『多動力』(堀江貴文著)。

言わずと知れたあのホリエモンの本だ。

堀江貴文という男

僕がホリエモンを知ったのは、ライブドア事件やテレビ局の買収、選挙への出馬等を通してだ。多分ほかの多くの日本人と同じきっかけで彼のことを知ったと思う。

当時は「胡散臭い」「金の亡者」「目立ちたがり屋」「生意気」「デブ」といった負の印象しか持っていなかった(堀江さんには本当に申し訳ないけれど、あえて当時の印象をそのまま書かせてもらう)。

けれど、今では僕は彼の言葉をとても信じている。

彼の意見には裏表がないと思っているし、彼が語る言葉や未来にとても魅力を感じるし、時代の流れや雰囲気を正確に捉えることができる数少ない日本人の1人だと思っている(時に批難されるべき細かい瑕疵もあるんだろうけれど、そんなのはどうでもいい)。

かつて彼の言動をどちらかと言うと否定的にしか見られなかった自分は、ただ単純に未来のことをちゃんと考えられていなかっただけなんだと思う。

ホリエモンには見えていた未来が理解できないほど僕は未熟だったし、周囲の批判に惑わされず、彼の言葉を信じられるほどの知識や経験が足りなかったのだ。

そんなホリエモンの『多動力』。

SNS中心にかなり話題になっていてかなり今更感があるのだけれど、感想を残しておきたいと思う。

読んだ後、子育ての仕方を見直してみようと思ったからだ。

息子のこと

僕には今年7歳になる双子と今年生まれたばかりの男の子という3人の子供がいる。

双子は息子と娘で、最近妻も僕も息子のことで手を焼いていた。

双子の娘もいるので、どうしても2人を比較してしまい、その結果として息子が相対的に悪く見えてしまっていた部分のあるのかもしれないけれど、妻と僕はおおよそ次のようなことで悩んでいた。

落ち着きがない

特に食事中は落ち着かない。

一度食事を口の中に運んだら、噛み終わって次の食事を口の中に入れられるようになるまで席を離れて徘徊する。

人の話を最後まで聞けない

説明をしているのに、説明の途中で早合点して自分の意見を先に行ってしまったり、学校の授業中では先生が他の生徒にも答えを考えさせようとしているのに「僕、それわかる!答えは●●だよ」と先に言ってしまったりする。

口癖は「ちょっと待ってぇ〜!」

「早くご飯を食べなさい」

「早く着替えをしなさい」

「早く歯を磨きなさい」

「早く学校に行きなさい」

「早く宿題をしなさい」

「早く寝なさい」

息子は妻と僕から1日だけでも山のように「早く●●しなさい」という言葉を浴びせられる。

その時に決まって返ってくる言葉は「ちょっと待ってぇ〜!」だ。

何かやりかけていることがあると、そちらが一段落してからでないと次の行動に移らないのだ。

息子には多動力がある!

『多動力』を読んでからは、息子について感じていた悩みが、逆にプラスに感じられるようになってきた。

息子のような子供こそがこれからの時代、多動力を発揮して活躍していくのではないかと思えたくらいだ。

そこで、上に挙げた問題点をむしろ好意的に捉えて息子への対処の仕方を変えてみることにした。

「落ち着きがない」のは時間に無駄を作らないようにしているから

家族内での食事の場においては、食事中席を離れても注意をしないようにする。ただし、公の場の食事で同じような行動をしたらきちんと叱るし、席を離れていいのは家庭内だけだということを常日頃から言い聞かせるようにしようと思う。

なぜなら息子にとって食事をただ噛んでいるだけの時間というのは、何も生み出さない無駄な時間だからだ。

その時間をただ席に座って無為に過ごすよりも、ほかにやりたいことがあるのであれば、それを優先させてあげようと思う。

人の話を最後まで聞くよりも、自らの意思表示を尊重させる

今までは「人の話は最後まで聞くようにしよう」「自分が答える番じゃなかったら我慢をしよう」というようなことを息子に伝え、注意をしたこともあったけれど、それは今後一切やめようと思う。

最後まで聞く前に自分が話したくなったら、話させてあげようかと思う。周囲に足並みを合わせて話をちゃんと聞くことよりも、自分の意見をきちんと口に出すことの方が大切だと思うからだ。

もちろん、人の話をちゃんと聞いていなかったからこその失敗もあると思うけれど、それは失敗をしながら学んでいけば良い。

「ちょっと待ってぇ〜!」と言われたら「ちょっと待つ」ようにする

息子が「ちょっと待ってぇ〜!」という時は、たいていほかの何かに集中している時だ。

テレビ、スマホでのゲーム、読書、工作、レゴ…。

そんなに集中してやりたいことがあったら、納得がいくまでトコトンやらせてから次の行動に移らせようと思う。

だから、今後「ちょっと待ってぇ〜!」と言われたら「ちょっと待つ」ようにしていく。

思えば、僕にも多動力があった気がする

『多動力』の感想を書いていて思ったのだけれど、よくよく考えてみれば、僕にも子供の頃は『多動力』があったように思う。

それがなぜなくなってしまったのか一言で説明するのは難しい。多分そこにはいろいろな理由がある。

例えば、僕の実家は田舎でそれなりに格式の高い家だったから、「ちゃんとした子供である」ことを昔から求められていたように思うし、自分でもそうあるべきだと感じていた。

だから、本来自分が間違ってもいいから思いついたことをすぐやってみるという人生よりは、試行錯誤して誰からも批難されない間違いが少ない人生を歩んできたように思う。

また、性格的に周囲の目を結構気にするところもある。

そんな僕を笑い飛ばすかのような言葉が『多動力』には書かれていた。

あなたが多動になるための最大のハードルは「他人にどう見られるだろう?」という感情だ。はっきり言おう。誰もあなたには興味がない。好きなように生きて、思いっきり恥を書こう。

君の頭の中が、他人の振る舞いや失敗のことでいっぱいにならないのと同じように、周りの人は君のことなんてまったく気にしていない。外野の雑音なんて気にせず、君は飄々とわが道を進めばいいのだ。「多動力」を身につけるには、どんな知識や仕事術を身につけるより、「感情」のフィルターを外すことが先決だ。

『多動力』を読んで一番感じたことは「ちょっと子育てのやり方(息子への対応の仕方)を変えてみよう」ということだった。

でも、まずは僕自身の考え方、行動の仕方も変えていきたいと思う。まずは自分を変えることが、子供への教育にも一番良い影響を与えるんじゃないだろうか。

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